栄西と喫茶養生記
お茶と栄西
鎌倉時代初期の建久2年(1191)に僧の栄西禅師が宋から帰国しました。
栄西は臨済宗の開祖であり、2度の渡宋により、臨済禅を学び、帰国しました。
この時に茶の種子を持ち帰り、筑前(福岡)の背振山に植えたのが、日本の茶の栽培の起源だと言われてきました。最近では、奈良時代や平安時代から茶は飲まれていたことが分かっています。
栄西の功績
栄西の功績は、京都や鎌倉にお茶を広めるきっかけを作ったことにあります。
栄西は1202年に源頼家から土地を与えられ、京都に建仁寺を建立しました。
その後、高山寺の明恵上人に茶の種を贈ったことから、京都で茶の栽培が始まりました。
栄西と喫茶養生記
そして、日本最古の茶書『喫茶養生記』を書きました。
1211年、栄西が71歳の時に完成した『喫茶養生記」はもともと医学書として書かれていて、薬としてのお茶の効能を述べたものです。
この『喫茶養生記』は、鎌倉幕府の3代将軍源実朝に 献上したものとして知られています。
源実朝が二日酔いに悩まされていた時に、お茶を献じて、二日酔いを治らせたことから、武士の間で愛飲されるようになりました。
参考